2005-10-10から1日間の記事一覧

さて、最後http://www.geocities.jp/showahistory/history4/23e.htmlにあった情報だと、戦後宮家を解体した後のその後が載っていました。 北白川祥子(40) 永久王未亡人。同じく成久王未亡人の房子(66)と渋谷八幡通りで借家住まい。子供らと暮らす。 北白…

だんだんと出社時間が近づいてきました(^−^; とりあえず立花家は「宮内庁御用掛」「貴族院議員」だったようなので、また暇なときにでもそちらから攻めてみようと思います。 あと 高橋鎮種−立花種次−立花種明−立花貫長−立花長煕−立花種周−立花種道−加納久…

おお、北白川道久さんは早々と見つかりましたよ(*゜∀゜)=3 現在、伊勢神宮の大宮司をしているようです。 戦後、たくましく生き抜いたようですね(w さて、本題の立花家の方ですが、こちらは難しそうだなぁ・・・

やっぱりお父さんだった。 お父さんの北白川宮は大正12年に死んでますね。 後を継いだお兄ちゃんは昭和15年に戦死してました。 そのお兄ちゃんの子供が後を継いでいるのですが、北白川道久と言う名前で戦後皇籍離脱しています。 次はここを攻めてみまし…

美年子さんのお爺さん(お父さん?)もなかなかおもしろい人ですね。 北白川宮能久親王 - Wikipedia

さらに調べると立花家がおぼろげながら見えてきました。 立花家は外様でしたが若年寄にまで出世しましたが、政権争いで失脚しています。 そして、学習院(現・学習院大学)の初代院長を務めています。 ここから攻めた方が謎が解明するかな?

というか、この時代も結構おもしろいものがありますね。 ちなみに昭和2年編(上)に出てくる写真の「北白川宮美年子女王」さんって結構ストライクゾーンなのです(*´ー`)・:*:・ このとき「蜂須賀侯爵」の息子と婚約していたということなのですが、実際に結…

以前NHKの「その時歴史が動いた」でも取り上げられたので、広く知れ渡っていると思うのですが「小泉純一郎」政権と戦前の「浜口雄幸」政権との類似性のことです。 J_Coffeeさんのコラムでも金解禁物語という題目で2001年に発表されていますが、このとき…

こんにちは 現在「だまされるな郵政民営化 荒井広幸著」を読んでおります。 現在参議院議員の荒井さんですが、以前は衆議院だったようですね(^−^; 現在「郵政反対論者」であろうこの方の動静は伝わってこないのですが、この人のHPでのあらい広幸の政策提…