明日提出のレポート

 こんにちは。
 今週もお勉強でした。
 んで、明日提出するレポートを書き終えました。
 相変わらず支離滅裂ですが、もう眠いのでこれでいきます。

問1:今後あなた自身の人生についてどのような姿勢で対処していこうと思いますか?

 今後のことを考えようとしても、この自然界は「線形・非線型およびカオス・複雑系」ということであるので予測を立てようとしても、予測出来るのは「線形領域」でしか不可能である。
 その人間の生涯の「線形領域」がいったいどの期間なのか分かりかねるが、1日目の講義の中で「刷り込み」の臨界期は胎生3ヶ月ということであるので、すでに私は「人生」の「線形領域」を過ぎているのかもしれない。
 では、自ら保っていこうという「姿勢」というバンドを「非線形領域」の上下にはめ、その上下幅より逸脱しないように自ら心がけようということにしても、「非線形領域」は予測不可能である。
 もしも、バンドを上下に逸脱したら、その逸脱した点は「無視」という設定をしたとすれば、バンドを逸脱して外に人生の点が移動してしまうと、それから先の時間軸は無くなってしまい「自分自身で無くなる≒肉体的な死≒精神的な死」となりかねないであろう。
(もちろんさらに時間が進めばバンド内に戻って来るという可能性もあるが)
 そうだとしたら、どのようにして人生という物をどのような姿勢で考えれば良いのであろうか?
 古来人間は自らの予測では対処出来ない問題を解決するために宗教という物を作成した。
  宗教的に考えてまず思い浮かぶのは「人間以外」の絶対的存在(神)を外部に置き、勝手気ままに振る舞う「人間」を、その人間的領域から超えた立場より見ることによりコントロールしようとすることである。
 古来、「神」や「仏」の言葉として人々を教化、導引、幻惑してきたこれらの「上位の言葉」は、人間をある枠の中に納めようとしてきた。
 そして完全に割り切って「神が人間に分かる言葉で話した」という解釈の元、人間が言葉を発展させていった宗教もあれば、古代から人間が肌で感じるままに「自然現象」を理解し、人間の作為を極力排除しようとした宗教が生まれていった。
 前者の代表がキリスト教で有り、後者は多くの素朴な民族宗教である。
 その宗教を用い「姿勢」を考えてみたい。
 先に「線形」から進む「非線形領域」にバンドを設定することを考えたが、IIICの講義では非線形を抽出し線形へ近似し、元々は自然界は非線形であるので、それに伴う予測できないトラブルが発生したら、問題を暖め再び近似していく方法が紹介されていた。
 問題解決にあたり各宗教の戒を見てみることにする。
 各宗教とも厳密な宗教理論があり、数多くの人間が解釈を加え「戒」についても細分化し膨大なものとなっている。
 それは自然界が「非線形」であるが故、「予測できないトラブル」が発生するたびに「戒」を付け加えていった経緯が考えられる。
 ここではそのすべてを考えられないので、基本的な宗教の基本的な戒を示してみた。

キリスト教十戒

1. あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない。
2. あなたはいかなる像も造ってはならない。
3. あなたの神、主の名をみだリに唱えてはならない。
4. 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
5. あなたの父母を敬え。
6. 殺してはならない。
7. 姦淫してはならない。
8. 盗んではならない。
9. 隣人に関して偽証してはならない。
10. 隣人の家を欲してはならない。


佛教の十善戒

一、殺生しない
ニ、盗みをしない
三、邪淫はしない
四、嘘をつかない
五、お世辞を言わない
六、悪口を言わない
七、二枚舌を使わない
八、欲張らない
九、怒らない
十、誤った考えを起こさない。

イスラーム教の六信・五行およびイスラーム法3種の刑罰

神(アッラーフ
天使(マラーイカ
啓典(キターブ)
使徒(ラスール)
来世(アーヒラ)
定命(カダル)

信仰告白シャハーダ
礼拝(サラー)
喜捨(ザカート)
断食(サウム)
巡礼(ハッジ)

固定刑 hadd (姦通・中傷・飲酒・窃盗・追い剥ぎ、プラス背教罪に適用)
同害報復刑 qisas (殺人・傷害に適用。「血の代償」で済ませることも可)
裁量刑 tazir (上記以外のすべての犯罪に適用。判例に基づいて、裁判官が裁量)

 こうして見ると、どの宗教も「殺人・傷害」「窃盗」「姦淫」「偽証」は強く戒めている。
 これがどの民族も、人間として最低限守っていったほうが良いと考えたのであろう。
 しかし、歴史を顧みると、どんなに各宗教が盛んであっても、これらの宗教を信じるすべての人間が完全に守り通したことは無かった。
 これらの戒を守り、実践していく宗教者でさえもである。 
 もちろん生涯にわたって守り通した人間もいるが、そういう人間は「聖人」に近く、多くの人間の目標となるべく祭り上げられ書物に残っていたりする。
 それだけ貴重な存在だったのだろう。
 私は今後自分自身の人生についてどのような姿勢で対処していくということについては、まず「殺人・傷害」「窃盗」「姦淫」「偽証」はしないようにすることから考えたいと思う。
 これを枠組みと考えると「予測できないトラブル」が発生するかもしれないが、「ローレンツ・アトラクタ」は2つの円とイメージ出来るように、戒はイメージするものと解釈するとうまくいくのでは無いかと考えたい。

問2:他の人やチームと共有しようとするといかなる問題や困難が生じますか?
問3:なぜ生じるのでしょう?

 自然界は「線形・非線型およびカオス・複雑系」であるので、人間1人1人の「個」が違う。
 チームとして考えを統一しても「線形領域」でしか無いので、いずれ「非線形領域」が姿を現し、意見が分散ししまう。
 統一意見は「枠組み」では無く、各個人の裁量にまかせた個人が考える方向としての「イメージ」として捉えたらよいのではないだろうか。

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